英国の職人技への信頼の証:レビュー1,000件以上・平均4.9/5.0

A WWII Navigator's Conway Stewart Pen Unearthed

飛行場に駐機する第二次世界大戦の爆撃機と、そばに立つ地上要員を写した白黒の記録写真

「Raunchy Wolf」と名づけられた B-17 Flying Fortress(上の写真)

1943年9月26日、日曜の夕、凍てつくような空気のなか、エセックスの田園のはるか上空で、ポール・ヤネロ中尉は B-17 Flying Fortress「The Dorsal Queen」の操縦桿を握っていました。ペンシルベニア出身、腕の確かな操縦士で、すでに11回の出撃を重ねていたヤネロは、乗員を奮い立たせる動じない指揮官でした。副操縦士でニューメキシコ出身、機知に富んだ Frederick Wilson、そして航法士でアイオワの人 Guilford Black——その綿密な航路図が、死の空をゆく機を針路に保っていました。かたわらを飛ぶ「Raunchy Wolf」を率いたのは John Keeley Jr. 中尉。25歳のニューヨーカーで、砲火のもとでも落ち着きを失わぬ、同じく歴戦の人でした。

その日は、いつもどおりに始まりました。ナチス占領下のフランス、Reims の飛行場への空襲——サフォークの RAF Great Ashfield を拠点とする米第8空軍の、たゆまぬ攻勢の一環でした。ところが厚い雲に阻まれて任務は中止となり、爆撃機は投下されなかった爆弾を積んだまま重く機体を沈めます。視界を奪う霧のなかを降下し、風防に霜が張りついたそのとき、惨事が起こりました。Bulphan 上空6,000フィート、二機は接触します。Dorsal Queen は尾部をもぎ取られ、Raunchy Wolf は翼をひしゃげさせ、それぞれ Tillingham Hall Farm と Nutty's Farm に墜落しました。爆発が夕闇を照らし、20名の飛行兵が炎のなかで命を落とし、故郷へ帰る夢は絶たれました。落下傘で降り立ったのは尾部銃手の John J. Adams ただ一人。耕された畑に散らばる残骸のなかの、唯一の生存者でした。

それから81年を経た2024年の秋、地元の歴史研究家 Sue Lister が、まさにその土の中から胸を打つ遺品を掘り起こしました。Conway Stewart の万年筆の残骸です。キャップは無傷で、14カラットゴールドのペン先はなお毅然とした光を放っていました。当社の歴史研究家 Steve Hull は、これを1930年代後半の No. 236——レバーフィル式、深いバーガンディと黒のマーブル模様——と鑑定しています。この英国製の遺品は、ほぼ間違いなく Raunchy Wolf の航法士、Arthur Ross Moore 中尉のものでした。航路を描くために、誰よりもインクを頼りとした乗員です。

No. 236 バーガンディ/ブラックのマーブル(発掘された Conway Stewart に近い一本)

この一本は、どのようにしてアメリカ人飛行兵の胸ポケットに収まったのでしょうか。休暇のあいだにサフォークの店で求めたのか、それとも母国で買い求めたのか。Conway Stewart のペンは世界中へ輸出され、その品質の高さで知られていましたから、故郷の町で手に入れた可能性も十分にあります。生き延びたこのペンは、私たちの受け継いできたものを映し、揺るがぬ品質が時を越えることの証であり、そしてアメリカと英国を結ぶ絆を今に伝えています。Sue Lister は2025年8月1日、この万年筆を RAF Hornchurch Heritage Centre に寄贈しました。勇敢な人びとの記憶が、これからの世代へ受け継がれていくように。

発掘された Conway Stewart を RAF Hornchurch Heritage Museum に手渡す Sue Lister(中央は Sue の甥孫 Fletcher、熱心な航空ファンです)



コメントを残す


コメントは承認後に掲載されますのでご了承ください